君はいのち動的平衡館を見たか vol.4|「いのちを知る」ために
- shin-ichi_fukuoka
- 4月24日
- 読了時間: 3分
更新日:4月30日

「いのちを知る」をテーマとしたパビリオンをつくる。それが課題として与えられたとき、おのずと私の中に浮かび上がってきたキーワードがある。「動的平衡」だ。いのちとは何か? そう問われたら、それは動的平衡と答える。これは私の研究者人生を通じて、ずっと考え続けてきた問題であり、そのゴールとして動的平衡という概念がある。
生命とは何か? この問いに対して、細胞からなるもの、DNAを持つもの、呼吸しているもの、代謝しているもの、増殖するもの……というふうな形で答えを得ようとすると、いつまで経っても生命のまわりを回るだけで、生命の本質に到達することができない。なぜなら、それは生命の特性を、生命の外部から列記しているだけだからだ。生命の本質に到達するためには、生命の外部からではなく、生命の内部から生命のあり方を捉える必要がある。そう考えて思考を深めていった結果、行き着いたのが動的平衡という概念だ。絶えず動きながら、流れながら、バランス(平衡)を取り続けること。
かつてフランスの哲学者アンリ・ベルクソンも、生命の本質を理解しようとして、その内部から生命を記述することを試みた。その結果、彼が得た答えは「生命には、物質のくだる坂をのぼろうとする努力がある」というものだった。生命の本質は“努力”である。細胞があるのも、DNAがあるのも、呼吸しているのも、代謝しているのも、増殖することも、無生物的な物質であれば、そのまま転がり落ちてしまう坂を、生命だけがのぼり返そうとする“努力”だと見抜いたのである。
では、坂をのぼろうとする努力とは一体何か。100年以上も前に生きたベルクソンには、まだ十分な言葉の解像度がなかったのは仕方がない。しかし彼の哲学は生命の本質をついていた。彼の言葉を現代的な科学用語で言い直せば次のようになる。
「生命は、エントロピー(乱雑さ)増大の法則にあらがっている」
物質(非生命体)は、宇宙の大原則であるエントロピー増大の法則に身を任さざるを得ない。秩序あるものは無秩序になる方向にしか変化しない。形あるものは崩れ、濃度が高いものは拡散し、高温のものは冷え、金属はさびる。建造物も長い年月のうちに傷み壊れゆくし、整理整頓しておいた机や部屋も散らかっていく。これらはすべて、エントロピーが増大する方向にしか物事は変化しないという法則の必然的な帰結である。エントロピーの増大する方向が、確率的・熱力学的に起こるべき方向だからだ。これが物質のくだる“坂”である。
ところが生命だけは、この法則にあらがっている。なんとか“坂”をのぼり返そうとしている。無秩序になることに抵抗して秩序を作り出し、形のないところに形を作ろうとし、部分的に濃度の高い場所を生み出し、熱を生産する。酸化に抵抗して還元を行う。つまり、宇宙の大原則であるエントロピー増大の法則に抵抗を試みている。崩れることが分かっているのに石を積むことを諦めないギリシャ神話の英雄シーシュポスのように、あてどのない営みにあえて挑戦している。これが生命の“努力”なのである。
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