君はいのち動的平衡館を見たか vol.6|縄文の思考
- shin-ichi_fukuoka
- 5月7日
- 読了時間: 4分

ならば、私たち現代の万博のプロデューサーも、大なり小なりとはいえ、岡本太郎の叫びを受け継いで、テーゼもしくはアンチテーゼをきちんと発する責務がある。
そのためには、岡本太郎の思いをたどり直す必要があるだろう。太陽の塔は何を象徴していたか。それは、岡本太郎が当時夢中になっていた縄文的な生命のパワーである。火焔型土器や奇怪な土偶に宿っている、ほとばしるような生のちから。
岡本太郎が縄文の美を発見したのは、1950年代のことである。1930年代、フランスに留学した太郎は絵画の修練を積むとともに、民俗学や文化人類学に触れた。戦後、彼はたまたま訪れた東京国立博物館で縄文土器と対面し、その造形に驚愕した。
栃木県寺野東にある縄文遺跡からは、直径165メートル、高さ2メートルの巨大な環状盛土が発見された。何らかのモニュメントと考えられている構造体だが、その目的は不明だ。内部を調べると、バームクーヘンのように、何層にも重ねて土が盛りつけられている。しかも、各層からは異なる時代区分の土器が出土しているのだ。こうしたことから推定すると、この構造物を建造するにはおよそ1000年が費やされていることが判明する。青森県三内丸山遺跡の盛土構造物の方はさらに長期で、ざっと1500年もの継続工事だったことが分かっている。縄文人たちは何世代にもわたって、絶え間なく手を加え、常に作ることを続けていた。つまり、どんなものがいつできるのかということよりも、バトンタッチを繰り返しながら、それぞれの人々が、今、作っていることに参画しているという事実の方に重きをおいていたのである。まさに流れの中にあるいのちを絶えず、手渡し続けていた。
歴史学者の小林達雄氏は、「記念物を完成させることに目的があったのではなく、未完成を続けるところに意味があったとみなくてはならぬ。むしろ完成を回避して、未完成を先送りし続けることに縄文哲学の真意があったのである。」(『縄文の思考』筑摩書房)と述べている。
締め切り、完成、納品……現代の私たちは、いつもそんなものに縛られ、あくせくしている。そんな私たちからすれば、完成しないことにこそ意味がある、そんな文化がかつてこの日本にも存在していた。驚かされるしかない。
このような哲学、すなわち今を生きる思考は、ともすれば今日の日本人、あるいは近代というものが見失ってしまったのではないか。そんな気がする。締め切りや納期がないと私たちの仕事がはかどらないのも事実だが、締め切りや納期があるゆえに、効率が何よりも優先されることになる。効率とは、仕事や成果を時間で割り算する思考だ。月給や年収を比較する、というのも同じ思考法だ。そこにはいつも一時間あたり、一日あたり、一年あたりの割り算がある。つまり短いタイムスパンでしか、物事を見ることができない思考回路にすっかり支配されてしまっているわけだ。
しかし時間がとうとうと流れていた縄文期には、今を生き、それが過去の人々と連続し、未来の人々にもつながりゆく、という実感さえあれば生は充実していたのかもしれない。完成や成果ではなく、プロセス自体に意味があった。
一方、狩りと採集によって生活の糧を得ていた当時の人々は、現在の私たちほど長時間、労働に身を捧げていたのでもない。縄文人の実労働時間を正確に知ることはできないが、現在における狩猟採集民の文化人類学的調査によれば、一日に2、3時間ほどの労働によって、集団はその日の生活の糧を得ることができた。あとの時間、彼ら彼女らは何をして過ごしていただろう。花を愛でたり、星を眺めたり、歌ったり、風に吹かれたり、あるいは奇妙な形の土器や土偶を作って、楽しく暮らしていたのではないだろうか。
私たちの社会は時代とともに急速な進化と発展を遂げ、幸福で豊かな生活を手中にすることができた、というのは一種の幻想なのかもしれない。縄文への旅を通して、私はそんなことを考えた。そして岡本太郎もまた、縄文土器や土偶から大きなインスピレーションを得た。彼は、縄文人の美を発見した。同時に、自分の内部に、自分が表現すべきものを発見した。それが「日本発見であると同時に自己発見でもあった」(岡本太郎『画文集・挑む』講談社)ということである。縄文土器や土偶が吹き出す生命力。縄文人のいのちに対する畏敬の念、縄文人の生命観を体現している。あるいはそこに彼らの時間感覚、生命の実感が現れている。少なくとも縄文人は現代の人類よりは調和していたはずだ。人間同士が調和していたし、自然とも調和していた。
テクノロジーやイノベーションが人間を幸福に導くのではない。あるいはそれらが人類に進歩や進化をもたらすものでもない。むしろ日本文化の古層に眠っている縄文的なパワー、生命の尊厳と根源につながるほとばしりを取り戻すことこそが、私たちに本来のいのちの輝きをもたらすことになる。太陽の塔はそのことを伝えるための到達点に他ならない。岡本太郎はそう言いたかったに違いない。
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