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君はいのち動的平衡館を見たか vol.3|EXPO'70への恩返し

更新日:4月30日




 EXPO'70のテーマ事業(テーマ館)は、「太陽の塔」であり、そのプロデューサーはかの岡本太郎だった。今回の大阪・関西万博では、岡本太郎のようなカリスマをひとり立てるのではなく、多様性のある8人が、それぞれの視点で「いのち」の問題に切り込む方式が選ばれたのだ。


 岡本太郎のようなカリスマがひとり矢面に立てば、万博の意義も意味ももう少し明確なメッセージとして発信することができたかもしれない。しかし今回のテーマ事業は、8人の集団体制によって進められることになった。私たち8人のプロデューサーは定期的に集まって、お互いに議論を交わす「プロデューサー会議」を何度も持った。そして、なんとか8つの「いのち」に対する取り組みを糾合したり、共通のスローガンを作ろうとしたりする努力が重ねられた。ただ、私たち8人のプロデューサーは、個性も、フィロソフィーも、方法論もあまりにも違いすぎた。結果的に、8人のプロデューサーは、それぞれ個別にパビリオンを作り、独自のメッセージを発することになった。


 これが良いことだったのか、あまり良いことではなかったのか、それは大阪・関西万博に来た人たちが感じ取ることだろうし、あるいは大阪・関西万博が終了し、しばらく時間が経過したあとでないと総括できないかもしれない。


 8人のプロデューサーがどのように選ばれたのか。その選出過程は、当のプロデューサー自身にも正確には知らされていない。おそらく経産省が主体となって作られた準備委員会の中で、ユニークな若手中心の人選が進められ、ジェンダーバランスなども考慮しながら行われたのだろう。私の記憶では、2020年の初頭、準備委員のひとりから、当時ニューヨークに滞在していた私のもとに電話があり、万博プロデューサー候補のひとりに挙げられているのだが、受諾していただけるかどうかとの打診を受けた。これが最初だった。その時点ではまさに青天の霹靂であり、万博のプロデューサーとは何か、どんな仕事をすることになるのか、いかなる体制で臨むのか、全く分かっていなかったし、心の準備もできていなかった。とりあえずは、しばらく考えさせてほしいということでその場を収め、その後、情報を収集したり、話を聞いたりしながら、何度か電話会議をして、少しずつ提案の概要を理解していった。当初は、プロデューサー2人が共同して、ひとつのパビリオンを作ってほしい、というようなプラン上の混乱もあった。徐々にそのような混乱が整理され、私が自分の思うように進めてもよいということが理解できるようになったので、2020年夏、正式にこの話を受諾することにした。プロデューサーなどという旗振り役が自分の性格に向いていないことは重々承知していた。が、元「20世紀少年」として、万博というイベントが放つ吸引力に逆らうことはできなかった、それが正直なところだ。そして、この時点でもなお、テーマ事業プロデューサーがとんでもなく大変な仕事であることを、私は全く理解できていなかった。


 プロデューサーとは、チームリーダーということであり、旗振り役ということだ。本来、私はこういう"生徒会長"的な立場に全然向いていない。私が、研究や執筆を自分のなりわいにしているのは、自分の性格が内向的で、パーソナル志向だからである。それは人間の友だちがおらず、虫が友だちだった昆虫少年の頃から変わっていない。リーダーシップをとったり、みんなを鼓舞したり、人間関係を調整したり、そのような社会性、社交性に欠けていると感じてきた。それともうひとつ。私は、文章を執筆し、発信する者としてできるだけ中立であろうと心がけてきた。それは政治的な中立であり、イデオロギー的な中立である。何かの負託を受けたポジショントークをしたくないと思った。だからこれまで極力、発起人、賛同人、応援人、署名人などになることを避けてきたし、政府や自治体の委員や役員になることも辞退してきた。それが書き手としての自由を守る方法だと信じてきたからだ。なのに今回、万博という国家プロジェクトのプロデューサーになってしまった。ある人からこんな辛辣なことを言われた。「福岡さんは、万博に関わった時点でもう中立ではありませんよ。権力側の人です」。そのとおりかもしれない。ここにはやはりこの仕事が“万博”であったから、という事実が大きく作用している。私たちの世代は、良い意味でも、悪い意味でも「20世紀少年」だった。


 私たちの世代―昭和30年代生まれ―は、1970年、大阪の地で開催されたEXPO'70に大きな影響を受けた世代である。新幹線が開通し、東京オリンピックがあり、高速道路が走り、東京は目覚ましい勢いで変貌していた。同時に、1960年代は騒乱の時代でもあった。安保闘争や東大紛争が起こり、御茶ノ水や駿河台の学生街には、トロ字の立て看板が並んでいた。東京の空には、いつもヘリコプターが飛び回って騒然としていた。10歳の少年にとっては、自分より少し上の世代が、何にそれほど怒っているのかよく理解できなかった。そんな中、1970年代を迎え、万博が開幕した。新しい時代がきた気がした。未来が具現化されたEXPO'70に限りなく明るい希望を感じた。


 私は東京から出かけていき、春と夏、2回行った。最寄りの駅からバスに詰め込まれ、千里丘陵の竹林を抜けていくと、向こうの方に、スタイリッシュなパビリオンや尖塔、ドームなどのスカイラインがまるで蜃気楼のように浮かび上がってきた。私の興奮は極点に達した。


 EXPO'70の一番人気は、アメリカ館だった。それは東京ドームを先取りしたような、白い空気膜構造で覆われた楕円形の巨大な建造物だった。ガラス繊維とワイヤーで屋根を支え、内部の空気圧を高めて膨張させていた。たとえ大量の降雪があっても支えられるとされていた。当時の宇宙工学の粋を結集して設計されたものだった。そして内部の目玉展示は、その前年、アポロ宇宙船が月面着陸に成功し持ち帰ってきた「月の石」だった。それは褐色の溶岩のような鉱物で、支持台のガラスケースの中に燦然と輝いていた。人類が地球以外の天体から持ち帰った初めてのサンプル。私の夢想は宇宙の彼方に広がっていった。


 それに対抗して、螺旋構造が屹立するようなソ連館ではソユーズ宇宙船が展示されていた。サッカーボール構造のみどり館、手塚治虫が監修したフジパンロボット館、光の樹木のようなスイス館(以前、隈研吾氏と話したら、彼もこの造形に感銘を受けたと言っていた)、日本の建築美を結集した松下館。動く歩道。携帯電話。電気自動車。人間洗濯機。リニアモーターカー。グラフィックデザイナーたちが手掛けたかっこいいポスター。ミニスカートのユニフォームに身を包んだ華やかなコンパニオン。


 広大な会場は、ものすごい人出で、どのパビリオンも長蛇の列。外国人客もたくさんいた。そこは一種の異世界であった。一回行っただけでは到底見たいものが見きれなかった。今、思い出しても、それぞれの特徴あるパビリオンの造形はくっきり記憶に残っている。


 私は、EXPO'70の入場券、併設されていた遊園地のジェットコースターのチケット、カタログ類、パンフレット、記念切手、記念コインなどを蒐集し、大切に保管した(それは今でも残っている)。


 入場券はお札ほどの大きさの紙片で、今、見てもかっこいい。右方に付された五弁の桜の花びらを象った模様はEXPO'70のシンボルマーク。日本を代表するグラフィックデザイナーだった大高猛によるデザイン(日本館の建物も、このデザインどおりに配置されていた)。入場券の真ん中にあるのは、細い曲線が、雪の結晶のように波紋を描いて広がる不思議な幾何学模様だった。見ていると吸い込まれそうになる。顕微鏡で細胞を覗いたとき、ミクロな小宇宙に引きずり込まれるようなあの感覚。これまた有名なデザイナー杉浦康平氏によるものだった。あらゆる細部に、当時の日本のトップランナーが携わっていたのだ(ちなみに入場料金は、大人800円、子ども400円となっていた)。


 この高揚感、祝祭感は、今でも強烈ななつかしさを伴って蘇ってくる。あのとき夢見た未来が、なつかしい心象風景として記憶の中に輝いている。後年、映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ! オトナ帝国の逆襲』が製作された。映画の公開は21世紀の始まりの2001年。劇中、「20世紀博」という万博が再現される。しんちゃんの両親をはじめ大人たちはみな、そのなつかしさから子どもたちを放棄して「20世紀博」の会場に吸い込まれていってしまう……というストーリー。私たち昭和世代が、EXPO'70に対して抱いている、この“なつかしい未来”への憧憬を見事に描きだしている。


 今、たどり直してみると、EXPO'70にも反対運動があったし、1970年代は、連合赤軍のあさま山荘事件や丸の内の企業爆破、よど号ハイジャック事件など、1960年代の殺伐とした騒乱がまだ燃え残っていた時期だったのだが、私たち少年にとっては、万博は、未来は少なくとも今よりは明るく希望に満ちたものだという期待感を抱かせるイベントだったし、その後の人生の進路を導いてくれるものでもあった。


 だからこそ、今回、大阪・関西万博プロデューサーの打診があったとき、引き受ける気持ちになった。ひとつの恩返しである。私たちが、EXPO'70によって鼓舞されたように、現在の若い人たちに何らかの夢と希望をもたらすことができれば。そう考えたのだ。



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